大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)6913号 判決 1973年4月18日
原告 亡ナミこと 井坂美智子訴訟承継人 木村ナミ
原告 同右 井坂藤市
右両名訴訟代理人弁護士 下光軍二
同 中本照規
被告 十仁病院
梅沢文雄
右訴訟代理人弁護士 森井喜代松
同 森井一郎
主文
被告は、原告両名に対し、各金三六〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四三年一月一〇日から右各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
原告両名の主位的請求中その余の請求および予備的請求中前項の認容額をこえる部分をいずれも棄却する。
訴訟費用は、各原告に生じた費用の三分の一ずつを被告に負担させ、被告に生じた費用の三分の二を原告両名に負担させるほか、各自の負担とする。
この判決は、第一、三項につきかりに執行することができる。
事実
一 当事者の求めた裁判
(一) 原告両名
昭和四三年一月九日被告に送達された訴状に基づき、主位的請求ならびに予備的請求のそれぞれにつき、
「被告は、原告両名に対し、各金五、〇六四、〇五〇円およびこれに対する訴状送達の日の翌日から右各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。」との判決ならびに仮執行の宣言を求めた。
(二) 被告
請求棄却の判決を求めた。
二 原告両名の主張
(一) 死亡前の原告亡ナミこと井坂美智子(以下、単に美智子と称す。)は、昭和三五年ごろから訴外梅田振興株式会社の経営する大阪の「クラブ・ユアーズ」においてホステスとして稼働し、その生計を立てるかたわら病身の母と肺結核で長期入院中の弟を扶養していたところ、昭和四二年一月、近眼のため使用していた眼鏡を勤務中取り外すよう右会社の社長から忠告を受けたので、これに代え、コンタクトレンズを嵌入することとした。しかし、美智子の両下眼瞼に微粒子のようなものがあったため、コンタクトレンズを長時間嵌入しておくことに支障をきたし、そのころ、大阪市北区にある白壁整形外科を訪れ、院長の訴外白壁武弥医師に右微粒子を除去する手術を依頼したが、手術をすると下眼瞼が外翻し、いわゆる「アカンベー」の状態になるからとの理由でこれを拒絶された。
(二) そこで、美智子は、同年二月二日、上京して当時週刊誌等で広告していた被告の経営する肩書病院(以下、便宜被告病院という。)をたずね、美容整形外科医である被告に対し、前記白壁整形外科での顛末を告げたうえ、同女の両眼瞼から右微粒子を取り除き、コンタクトレンズを嵌入できるような状態にし、また一層美貌を増すように手術を施すことを依頼したところ、被告は、言下にこれを承諾し、同月七日、美智子を被告病院に入院させ、同人に対し全身麻酔を施したうえで右手術を行なった。美智子は、その際、手術代および入院費用として金一三五、〇〇〇円を被告に支払い、同人の指示どおり、同月一六日まで入院した後、帰阪した。
(三) ところが、帰阪後美智子の両眼は、充血し、両下眼瞼が若干外翻状態を呈し、眼を長時間開けておれなくなったので、同人は、被告病院にその旨を電話連絡したところ、二・三ヵ月すれば自然に治るといわれ、その後同病院より送ってきた二日分の塗付薬および内服薬を施用して同年四月まで経過をみたが、病状は、一向に好転せず、かえって両下眼瞼の外翻症状が大きくなってきた。
(四) そこで、美智子は、同年五月二日、再び被告病院を訪れ、被告に手術を施さずに右外翻状態を治してほしいと頼んだ。ところが、被告は、手術をしなければ治癒しないというので、同日、美智子は、手術代および入院費用金九〇、〇〇〇円のうち、金四〇、〇〇〇円を支払い、再度被告より全身麻酔を施されたうえ両下眼瞼の切開手術を受け、同月一一日まで被告病院に入院した。しかし、退院後も美智子の両下眼瞼は、でこぼこになっており、外翻症状は、以前よりかえって顕著になった。そのため、依然として眼瞼にコンタクトレンズを嵌入することができないのみならず、同人の顔貌は、さらにみにくいものとなった。
(五) 美智子は、小学校四年生のときリューマチを煩ったことがあったが、右第一回目の手術後、手足の甲、裏に腫脹をきたし、足指の関節に痛みをおぼえ、右リューマチに似た症状を呈していた。そして、第二回目の手術後は、全身の関節に疼痛が増して、同年七月ごろには手足および顔面の皮膚が硬直するようになり、同月一七日、全身性鞏皮症と診断されて大阪赤十字病院に入院し、治療を続けたが、翌四三年一月一四日、右鞏皮症に縁由する血圧上昇心肥大による心臓麻痺で死亡した。
(六) ところで、美容整形を業とする医師である被告としては、およそ人の両下眼瞼を切開する手術を施す場合、手術の予後、両下眼瞼が前記のような外翻状態にならないよう細心の注意を払う義務があり、しかも、本件美智子のような手術当時すでに前記鞏皮症の初期症状を呈していた被手術者に対しては、前もって充分な問診をなし、リューマチ等の過去の病歴、異状体質の有無を検査するなどして手術にかかる注意義務があるのに、被告はこれを怠り、美智子に対し二回にわたる全身麻酔を施して漫然と右切開手術をなしたため、同人の両下眼瞼を前記のとおり外翻状態にし、しかも右全身麻酔および手術過誤からくる精神的打撃も加わって鞏皮症を発病ないし悪化させて同人を死亡するに至らしめたものである。
以上の次第で、被告は、民法第七〇九条、第七一〇条により、予備的に美智子と被告間の美容整形という準医療行為を目的とする契約(準委任契約か一種の請負契約)不履行に基づき、美智子の蒙った損害を賠償する義務を負ったものといわなければならない。
(七) 美智子が被告の前記手術の過誤によって蒙った損害は、つぎのとおりである。
1 得べかりし利益の喪失 金八、一二八、一〇〇円
美智子は、昭和六年一〇月二六日生まれ(手術当時満三五才)の未婚の女性で、手術当時勤務先の前記梅田振興株式会社より一ヵ月平均金七九、六六三円、したがって一ヵ年に金一、〇三五、六二〇円の収入を得ていたが、被告の本件手術の過誤によってホステスあるいはこれに準ずる職業につくことができなくなった。美智子は、右過誤がなければ、以後一〇年間はホステスとして稼働して前示同額の収入を得、またその後少なくとも一〇年間はこれに準ずる職業(たとえば料亭などの女中や仲居等)について一ヵ月金五〇、〇〇〇円、したがって一ヵ年金六〇〇、〇〇〇円以上の収入を得ることができたというべきである。そうすると、美智子は得べかりし利益として、右収入を基礎として算出した昭和四二年六月一日以降の稼働可能期間二〇年間の収益合計金一六、三五六、二〇〇円につきホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して求めた右日時における現価金八、一二八、一〇〇円を失なったということができる。
2 慰藉料 金二、〇〇〇、〇〇〇円
美智子は、被告の手術過誤により両下眼瞼が外翻し、いわゆるアカンベーの状態になったが、未婚の女性でしかも美しさを売りものとする水商売の女性として美貌を失なったための精神的苦痛に対する慰藉料としては、右金額が相当である。
(八) 以上により、美智子は、被告に対し、合計金一〇、一二八、一〇〇円の損害賠償請求権を取得したところ、原告木村ナミは同人の母、同井坂藤市は同人の父であって、美智子の死亡に伴い、それぞれ二分の一の割合をもって、右請求権を相続により承継したものである。
(九) なお、美智子は、昭和四二年六月五日、被告病院において、被告から前記の手術代等として支払済みの金一七五、〇〇〇円の返還を受け、その際、求められるままに今後被告に対して一切の責任を問うことがないような趣旨を附記した領収証に署名捺印した。しかし、その時の情況は、こうである。被告は、「君は、帰る旅費もないらしいから、お金を返してあげる。二、三ヶ月経ったらいらっしゃい。手術し直してあげる。」というのであり、美智子が黙っていると、「お金が少ないというのかね。それなら脅迫だ。人に話したり訴えたりしてみろ。脅迫罪か名誉毀損罪だぞ。」と強圧的言辞を弄し、恐ろしい形相でにらみつけるのであった。美智子は、恐ろしさと、被告に再手術してもらいたいという願望に加え、帰りの旅費にも事欠く手持金のことも気になって、被告から差し出された右金員を受け取り、秘書から呈示された領収証に、その記載内容もはっきりとは確かめぬまま署名捺印したものである。したがって、右領収証に記載された原告の前示意思表示は、原告の窮迫に乗じた被告の強要によるものであり、無効といわなければならない。
(十) よって、原告両名は、被告に対し、前示の損害額を二等分した各金五、〇六四、〇五〇円づつと、これに対する訴状送達の日の翌日たる昭和四三年一月一〇日から右各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
三 被告の主張
(一) 美智子が被告に本件手術を依頼するに至ったまでの事情(原告ら主張(一)の事実)は知らないが、美智子が被告病院を訪れて手術を依頼したこと(ただし、その日時は昭和四二年二月三日である。)、同月七日より被告病院に入院して被告から第一回目の手術を受けたこと、その際手術代等として金一三五、〇〇〇円を支払ったこと、そして帰阪後、被告病院に電話連絡してきたので、被告病院から薬を送付したこと、ついで同年五月二日、美智子が再び被告病院に入院し、被告より第二回目の手術を受けたこと、そしてその際手術代等の一部として金四〇、〇〇〇円を支払ったことは、これを認める。しかし、美智子の下眼鞏のその後の症状、および同人の鞏皮症による経過(同(五)の事実)は、知らない。
(二) 被告が美智子に対し前記手術をなした経緯はつぎのとおりであって、右手術に関し、被告には過誤はなかったものである。
1 昭和四二年二月三日、被告は、美智子より鼻翼の整形と両下眼瞼のパラフィノーム(パラフィン等の異物を注入した結果、皮膚、皮下組織および筋肉組織が膨隆硬結したもの)を取り除く手術を依頼されたので診察したところ、右パラフィノームは、一〇年ほど前大阪の三山整形外科で注入されたパラフィン類が原因するもので、鼻翼については同人の希望通り手術が可能だが、パラフィノーム除去は、これによって下眼瞼が外翻する可能性が大きいと判明し、その旨同人に告げて右依頼を断った。
しかるに、美智子は、被告病院に三日も通いつめ、泣きついたり座り込んだりして執拗に手術を迫ったので、被告は、同人の熱意にほだされ、下眼瞼の外翻の生ずることもありうることは何度も念を押して、同人の承諾のもとに、第一回目の手術を行なった。
ついで、前記連絡、葉の送付のやりとりがあった後美智子は、同年五月二日、突然上京して被告に再手術をせまった。被告は、再手術するには少し時期が早過ぎたけれども、美智子の要求に応じることとし、前回同様同人の承諾を得て、残留しているパラフィノームを除去する第二回目の手術を施したのである。
2 ところで、美智子の両下眼瞼には、パラフィノームによる黄色い組織のほかにこれと異なる注射液による土色の組織が存在し、これがこちこちに固まり、パラフィン類が皮膚および筋肉組織にしみこんでいたのであって、このような組織に浸透したパラフィノームをすべて除去することは、不可能な状態にあった。そこで、被告は、皮下組織と筋肉組織を区別して、前者に存するパラフィノームのみを除去することを試み、この困難な手術にあたっては、多年の経験を生かし、現代医学上要求される最善の注意を払って、可能なかぎり除去に努めた結果、手術は、一応の成功を収めたものである。それ故、被告の治療行為に原告ら主張の過誤はない。
また、被告は、右手術に先だち、美智子の血圧、体重の測定、病歴、体質など具さに調査したが、両度にわたる手術当時、鞏皮症の症状は認められなかった。もともと、鞏皮症の原因については、現代医学の段階でまだ確定的には解明されておらず、美智子の鞏皮症は、同人の病歴、体質、環境などからみて自然に発病したものと考えられるから、被告のなした治療過程においてたまたまそれが顕現したからといって本件手術となんら因果関係はない。
以上の次第で、被告には手術自体について過誤はなく、まして鞏皮症という美智子の既往症についてまで被告がその責任を追及される筋合いはないものである。
(三) 美智子が手術当時得ていた収分の額は知らない。原告木村ナミが同人の母、同井坂藤市が同人の父で、相続により同人の地位を承継したことは、これを認める。
(四) なお、被告が同年六月五日、美智子に対し金一七五、〇〇〇円を交付したが、これは同人が生活補償を要求するので被告が好意的に支払ったもので、その際被告は、美智子に対し、手術の経過を話したうえ、予後の措置としては適当の時期に再手術を行うが、既往の治療行為については被告になんら過誤はない旨説明したところ、同人は、これを納得したうえ、右金員を受け取り、被告に対し、既往の治療行為の過誤を主張して財産上の請求をなさない旨約したものである。
四 証拠≪省略≫
理由
一 昭和四二年二月三日ごろ、美智子が上京して被告病院をたずね、美容整形外科医である被告に対し、両下眼瞼のパラフィノームを取り除く手術を依頼したところ、被告がこれを承諾し、同月七日、美智子を被告病院に入院させ、同人に対し、全身麻酔を施したうえで右手術を行なったこと、美智子は、被告の指示通り、同月一六日まで入院した後帰阪し、同年四月末まで予後の経過をまったこと、その間、被告病院は、美智子より下瞼の症状が思わしくないとの連絡を受けたので二日分の塗り薬、飲み薬を送付したこと、同年五月二日、美智子は、再び上京して被告病院を訪れ、同日、被告より再度両下眼瞼の切開手術を受け、同月一一日まで入院したことは、いずれも当事者間に争いがない。
右争いがない事実と≪証拠省略≫を総合すると、被告の美智子に対する前記手術に至るまでの経緯、被告の診断、手術および治療の経過、美智子の右手術による予後症状につき、つぎの事実が認められる。
美智子は、右手術を受ける数年以前から、訴外梅田振興株式会社の経営する「クラブ・ユアーズ」にホステスとして勤務し、その生計をたてるかたわら、病身の母と肺結核で長期入院中の弟を扶養していたが、近眼のため勤務中も眼鏡を使用していたところ、昭和四二年一月、クラブの経営者より勤務中眼鏡を装用することに難色を示されたのでこれに代え、コンタクトレンズを嵌入することにした。ところが、同人の両下眼瞼には、一〇年程前に美容整形のため注入を受けた異物によるパラフィノーム(右の目、横二・三幅〇・八、左の目、横二・八幅〇・七ないし〇・九。単位センチメートル。)が瘤状に膨隆硬化し、コンタクトレンズ使用に支障をきたしたため、パラフィノームによる余病防止をも兼ねて大阪赤十字病院に診察を請い、さらに、同病院より紹介された白壁整形外科を訪れ、院長の訴外白壁武弥医師に右趣旨を告げてその除去手術を依頼したのであるが、同医師より、余病の恐れが当分ないこと、また手術を敢行すると両下眼瞼が外翻して顔貌がみにくくなる可能性が大であるとの理由でこれを拒絶された。
しかし、美智子は、右希望を捨て切れず、前記のとおり同年二月三日ころ、上京して当時週刊誌で広告していた被告病院をたずね、整形外科医である被告に対し、前記白壁整形での顛末を告げたうえ、パラフィノームを除去する手術を施し、併わせて鼻翼の整形をなして顔貌を整えるよう懇望した。被告は、同人の従前の経験から、このような手術にはかなりの困難を伴うであろうが、なんとか右依頼の目的を達成しうると考えたのでこれを承諾し、同月七日、事前に通常行なう診察以外特別の措置をとることなく美智子に対し前記手術を開始した。そして、まずラブナールAを静脈に注入して全身麻酔を施し、かつ、塩酸プロカインにより両下眼瞼の局所麻酔をなしたうえ、同所を切開したところ、予想外に異物が皮下組織だけでなく筋肉にまで拡散しており、筋肉に浸透したパラフィノームを全部除去するときは機能障害を惹起する危険があると判断したので、皮下組織に存したパラフィノームのみを可能な限り取り除き、切開部を元通り縫合し手術を終えた。
退院後、美智子は帰阪して前示のとおり同年四月末まで予後の経過をまったけれども、同人の両下眼瞼は右切開手術による傷の治癒していくにおよんで、瘢痕収縮をおこして若干外翻し、またその瘢痕が完全に消失しなかったため、同人は、同年五月二日、上京して被告に対し、適当な処置を依頼した。そこで、同日、被告は、再び美智子の両下眼瞼に対し手術を施すこととし、前記同様の麻酔をなし、前回の手術による傷の癒着を剥離しながら、取り残したと思われるパラフィノームの完全除去を目的として、以前より若干広範囲にわたって、かつ、より深く眼球下部の脂肪組織にまで切開を加えたが、眼球下部からは、パラフィノームとは別にこれと異なる注射液による組織が発見されたため、その除去を断念し切開部を縫合した。
ところが、以上二回の手術により、美智子の下眼瞼からパラフィノームを除去する目的は、一応達せられたけれども、手術の傷が治癒した後も、右患部において手術の瘢痕が一見して認識しうる程度に残留し、また瘢痕収縮により下眼瞼部の外翻が顕著に発現し、とくに上眼使いの状態にすると外翻が著しくなり、右外翻症状をなくするためには、さらに特別の縫合手術あるいは植皮によらなければならず、このままの固着状態においては、同人の顔貌は、以前よりも格段に毀損された結果になった。
以上の事実が認められ、右一連の事実に関し、被告が美智子の手術依頼に対し、パラフィノーム除去する手術をすること、下眼瞼が外翻する結果を惹起するおそれがあると告げて断乎これを拒絶したにもかかわらず、同人の執拗な依頼に屈し、同人の承諾のもとに手術を敢行したとの≪証拠省略≫、また、第一回の手術後、美智子の両下眼瞼は手術後通常生ずる腫脹を除き快癒していたとの≪証拠省略≫は、前掲証拠にてらしたやすく信用することができず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。
二 そこで、被告の過失の有無につき検討する。
(一) まず、下眼瞼の外翻症状発現の点につき、被告に過失があったか否かを考えるに、被告は、一連の治療行為に関しては、同人に過失はなかった旨抗争し、右に認定した事実にてらすと、被告の治療行為は、美智子の下眼瞼のパラフィノーム除去自体に関する面に限っては、その診断の所見、切開時の措置に関し、被告は、一般開業医として通常の医療手段を講じていたことがうかがわれ、また、その後パラフィノームによる余病の発現がないという結果からみて、医学上とくに適切さに欠ける点があったとは認めることができない。
(二) しかしながら、本件手術の目的は、前記のとおり、パラフィノームの除去という純然たる治療と同時に(むしろこれ以上に)一女性の顔貌を美容のため整形することにあったところ、≪証拠省略≫によれば、美智子については、右パラフィノームの残留による余病発現のおそれは、さしあたり認められなかったにもかかわらず、その除去手術は、かなり技術的に困難で相当の日時と回数を必要とし、しかもこれを敢行するにおいては、除去手術の度合に応じて下眼瞼が外翻し、かえって美容の目的とは逆の結果を惹起する危険が充分あったこと、その故に、前述のとおり、さきに白壁医師は、美智子の依頼にもかかわらず右手術の施行を拒絶したものであること、そして被告も、専門の美容整形外科医師として、美智子に対する手術前の診断の結果に徴し、多かれ少なかれ前述のような危険があることを認識したし、また、その手術施行に先だち、美智子からも白壁医師から手術を拒絶された経過を聞知していたことが明らかである。したがって、被告としては、かりに美智子から強い懇望を受けたとしても、同女の外貌を毀損して尋常の手段をもってしては治療不可能ないし至難な予後症状に陥るような結果を避けるため、そうした手術の施行を拒否するのが無難、かつ穏当であり、かりにこれを敢行するとしても、事前の各種診断を格別に慎重にするのはもちろん、手術の実施そのものも、その進行につれ漸次予測が容易となるマイナスの結果の可能性と度合に十分思いを致し、できる限り慎重、かつ小刻みにこれをなす注意義務があったものと解するのが相当である。しかるに、被告は、たやすく美智子の依頼を応諾し、事前にどの程度の切開であれば、外翻を発現するおそれがないかにつき特段の診察もなさず手術を開始し、切開してはじめて異物の予想外に拡散していることを発見するに至り、さらに、その後第二回目の手術を受けるため上京した美智子に接した際には、瘢痕収縮により下瞼部に若干外翻症状が生じていたことを認めえたのであるから、これ以上切開におよぶときは当然その症状が著しくなるものと予想されるにもかかわらず、あえて前回より広範囲にわたる切開手術を施し、一層外翻症状を顕著にし、もはや尋常の治療方法では予後の症状を快癒することを不可能にしたものであるから、被告は、前示注意義務を怠った過失があったものといわざるを得ない。
三 つぎに、原告らは、美智子は、被告の施した二回にわたる全身麻酔および手術過誤からくる精神的打撃が加わったため全身性鞏皮症の発病ないし悪化をみ、死亡するに至ったが、これは、被告が美智子に対し、前もって充分な間診をなし、また過去の病歴、異状体質の有無の検査をするなどして手術にかからなかったがためで、この点においても、被告は医師として要求される注意義務を怠った過失があったと主張し、これに対し、被告は、その因果関係および過失を争うので、以下、この点につき判断する。
≪証拠省略≫によれば、美智子は、従前、両下眼瞼のほかに、両側乳房にも豊胸のため異物の注入を受けていたが、昭和四二年二月一日、異物による乳房の疼痛、および心悸昂進、呼吸促迫を訴えて前示下眼瞼とともに大阪赤十字病院の内科において診察を受けたところ、心神経症と診断されたこと、その後、被告より第一回目の手術を受けてまもなく、手足の麻酔、腫脹および指関節の疼痛を感じ小学生当時煩ったことのあるリューマチに似た症状を呈し、同年四月五日、右赤十字病院において治療を受けたこと、第二回目の手術後はすべての関節部に病痛を来たし歩行も困難になったので、同年六月二六日、同病院の整形外科において診察を請うたところ、多発性関節リューマチと診断され治療を続けたが、同年七月には、鞏皮症に特有な手、顔面等の皮膚が硬直する症状が発現したため、同月一七日同病院の皮膚科にまわされて、ここに至ってはじめて全身鞏皮症との診断を受けたこと、そこで、同年八月二三日、同病院に入院して治療を図ったが、病状は、とどまることなく進行し、ついに翌四三年一月一四日、全身性鞏皮症に縁由する血圧上昇心肥大による心臓麻痺で死亡したことが認められ、右認定に反する証拠はない。
ところで、≪証拠省略≫によると、全身性鞏皮症の原因については現段階では医学上定説がないが、患者の体質、過去の病歴、環境等が重要な要因となり、体内の抗原に対して形成される抗体が身体の細胞を結合している組織に作用しておこる膠原病の一種とする見解が有力であって、初期においては、右結合組織が比較的多く存在する血管、手足の関節部等に症状が発現し、リューマチと類似した炎症をおこし、ついで皮膚にも作用して漸次硬化し弾力性を消失する結果、つっぱるような感じを呈し、これが各種の臓器を形成する筋肉組織にもおよんで、ついには死亡するに至る比較的稀な病気であること、初期の症状を呈している段階で全身麻酔を施すときは病気の進行をはやめることもありうることが認められる(≪証拠判断省略≫。)
以上の事実を総合して考えると、美智子は、第一回の手術前後においてすでに鞏皮症の初期段階にあったものと思われ、発病それ自体は、同人のリューマチ性の体質や、前示のとおり病気の母、弟らを扶養するため肉体的、精神的にかなり無理をしていたものと推測されることから、こうした環境が主たる要因となったと思料される。しかし、被告の全身麻酔を施した二回におよぶ本件手術後かなり急激に病状が悪化していることからみて、右全身麻酔および前記の手術過誤からくる精神的打撃、焦躁がまったく病状進行に影響がなかったと断言しうるか相当疑問であるにしても、被告の治療行為と鞏皮症の発現ないし進行との間の相当因果関係を肯認することには、些か躊躇せざるをえない。しかも、鞏皮症の初期症状は、リューマチの症状に酷似し前記のとおり大阪赤十字病院においても皮膚の硬化現象が顕現するまでは鞏皮症と診断しえなかったことは上来認定のとおりであり、また、≪証拠省略≫によれば、被告の各手術に際しては、美智子はなんら当時の自覚症状を被告に告げておらず、被告は、大学附属病院のような大がかりな設備をもたない一般開業医として手術前に通常要求される問診、血圧、尿検査等を行なったが、とくに異常を認めなかったことが認められる。こうした事実と一般開業医の実情に徴すれば、かりに被告の本件治療行為が鞏症皮の発病ないし進行とは無関係とはいえなかったとしても、被告になお右事情を予見して適切な措置を期待することは、不可能を強いるものというべく、被告が前記問診・諸検査以上の措置をとらなかったからといって、右事情に基づく損害をも賠償しなければならぬものでないと解するのが相当である。
四 そこで、被告の賠償すべき損害の範囲および数額についてさらに検討する。
(一) 得べかりし利益の喪失
原告らは、被告の本件手術の過誤によって昭和四二年六月一日以降美智子はホステスあるいはこれに準ずる職業に就くことができなくなったと主張する。しかし、なるほど美智子は手術の予後である下眼瞼の外翻状態が顕著であったことは前認定のとおりであり、かかる状態においては外貌の美しさが大きな比重を占めるホステス等に就業することは不可能であったことは充分推測されるけれども、当時美智子は、全身性鞏皮症が進行して歩行も困難になっていたことは、上述したとおりであるから、すでにこれにより同女は、ホステス等としての稼働能力を喪失していたものと思料される。してみると、被告の手術過誤がなければ、美智子のホステス等としての就業不能もなかったという関係は成立しえないことになり、これによって生じた得べかりし利益の喪失は、被告の本件手術過誤とは相当因果関係に立たないものといわなければならない。
(二) 慰藉料
≪証拠省略≫によると、美智子は、昭和六年一〇月二六日生まれ(手術当時満三五才)の未婚の女性であることが認められ、また上記認定のとおり、病気の母や弟を扶養するため比較的高収入を得られるホステスとして稼働していたが、下瞼部に外翻をきたし、とくに顔貌を生命とする客商売につけなくなったばかりか一女性として顔貌毀損により図りしれない精神的打撃、焦躁感に追いこまれ、日常生活にも甚大な影響を蒙ったであろうことは推察するに難くない。しかし、本件手術がなされたのも、もとはといえば、美智子が、かつてその両下眼瞼に美容整形のため異物の注入を受けていたからで、しかも、被告は手術によって右異物の除去という純粋の治療成果を一応あげたもので、また後記のとおり被告は手術後、美智子より支払われた手術代等金一七五、〇〇〇円を一応返還して善後措置を約していたから、こうした事情も慰藉料算定について斟酌しなければならない。そこで、以上の事実やその他本件にあらわれた諸般の事情を考慮すると、美智子が被告の手術過誤により蒙った精神的苦痛に対する慰藉料額は金八〇〇、〇〇〇円とするのが相当である。
(三) 過失相殺
以上、美智子の損害額は金八〇〇、〇〇〇円となるが美智子は、被告の手術を受ける前、訴外白壁武弥医師より下眼瞼のパラフィノームによる余病のおそれはさしあたりないこと、この種手術は極めて困難で、これを敢行する場合は下瞼部に外翻をきたす可能性が大きいことを告げられていながら、あえて被告に手術を依頼した点軽卒な態度であったと考えられるから、被告の賠償額算定にあたっては、美智子の右過失を参酌すべきであるところ、美容整形外科医と患者の関係をも考慮して、被告の前記過失と美智子の右過失とを対比すると、その割合は被告の九、美智子の一と評価するのが相当である。そうすると、被告の賠償すべき慰藉料の額は、金七二〇、〇〇〇円となる。
(四) ところで、昭和四二年六月五日、美智子が被告より手術代等として支払った合計金一七五、〇〇〇円の返還を受けたことは、当事者間に争いがない。被告は、その際美智子が被告に過誤のないことを納得したうえ、同人に以後なんらの請求をなさない旨約したと主張し、≪証拠省略≫によれば、美智子は、右金員を受け取った際、被告から受けた既往の手術、処置につき今後不服を申し出たり被告病院に迷惑をかけるようなことをしない旨を記載した書面を被告に差し入れていることが明らかであり、また、≪証拠省略≫中にも多かれ少なかれこれにそうかのような記載部分がある。しかし、これらは、いずれもその内容ないし趣旨が瞹眛であって、右主張事実の確証となすに不十分であり、しかも、≪証拠省略≫を総合すれば、被告は本件手術後美智子の下瞼部をみて、外翻治療のためなんらかの善後措置をなす必要を感じ、また、時期をみてそれを試みる意向がある旨を同女に告げたが、当時手術の切開傷が完治しておらず、当分それが不可能なことを説明したこと、しかし、美智子は、これに納得せず、経済的窮状を訴えたりしたため、被告は、自己の過誤が善後措置をなさないままで公表されることをおそれ、かつ、美智子から今後問責されないですめば幸いであると考え、そのための方策として美智子より支払われた手術代等を一応返還するとともに、前記の文面を用意した書面に美智子の署名捺印を求めたものであることが認められる。してみると右金員の授受および書面の差入れからただちに美智子の被告に対する前示賠償請求権が消滅する効果をもった意思表示がなされたものと解することは、相当でない。
(五) 以上の次第で、被告は美智子に対し、本件不法行為にもとづき、金七二〇、〇〇〇円の損害を賠償する義務を負担したところ、原告らが美智子の父母で、美智子の死亡に伴い、相続により同人の地位を承継したことは当事者間に争いがないから、原告両名は、各自、被告に対し二分の一の各相続分に応じた金三六〇、〇〇〇円宛を請求しうるものである。
五 よって、原告両名の被告に対する主位的請求は、右金額およびこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかである昭和四三年一月一〇日から右各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、これを認容するが、その余は理由がないから、これを棄却することとする。
なお、原告は、予備的に債務不履行に基づく損害賠償を請求しているところ、上来認定の事実によれば、被告において医療契約上の債務不履行があったものというべきであるが、右に基づく損害賠償請求権、は上記認定の不法行為に基づくそれと競合関係に立ち、かつ、その額についてもさきの説示がそのまま妥当し、右認定の範囲をこえてこれを肯認しうる理由がない。よって、右予備的請求については、上記認容の主位的請求の額の限度において判断を省略するが、右の額をこえる部分のそれは、失当であるから、これを棄却すべきである。
以上の理由により、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条第一項本文、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用したうえ、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 戸根住夫 裁判官 長野益三 裁判官岡田春夫は、本件の審理および評議に関与したが、他庁に転任したので、署名捺印することができない。裁判長裁判官 戸根住夫)